あいたて博で知多岡田へ、今も残る古い街並み散策し「雅休邸(旧岡田医院)」や「手織りの里 木綿蔵・ちた」、この記事でご紹介する愛知県内最古の現役郵便局舎「知多岡田簡易郵便局」を見学しました。
愛知県知多市にある岡田(おかだ)地区は、江戸時代から昭和30年代にかけて「知多木綿」の生産地として栄え、明治期から大きく発展します。
その岡田の木綿生産の最盛期を支えたのが全国から働きにきた若い女工さんたち、「知多岡田郵便局」は彼女たちと故郷を繋ぐ大切な場所だったのです。
「知多岡田簡易郵便局」の建築データ
【施設情報】知多岡田簡易郵便局
竣工:
1902年(明治35年)
備考:
登録有形文化財(2013年指定)
愛知県内最古の現役郵便局舎
【この場所の魂】
1902年竣工、愛知県内最古の現役郵便局舎として今なお明治の風情を色濃く残す木造洋風建築です。
一度は閉鎖となったが、地元の要望により復活し、今も現役の郵便局として知多岡田の日常を支え続ける。
通り沿いに北面して建つ。木造二階建、桁行九・一メートル梁間五・五メートル、寄棟造桟瓦葺で、正面中央に庇を付ける。外壁は下見板張で軒蛇腹と胴蛇腹を廻らし、周囲に配置した上下窓の外側に雨戸をたてる。上階はもと宿直室。県内で最古に属する郵便局舎。
江戸時代から続く木綿の巨大産地
江戸時代から知多は良質な木綿の産地でした。 明治時代以降は近代化の波にのり機械化による大量生産が進み、その最先端を走ったのが岡田でした。
大正から昭和にかけて、知多木綿は海外輸出メインへと大きく舵を切りました。
それまでの国内向けだけでなく、海外の需要に合わせた「広幅綿布」の大量生産ラインを確立。大阪の泉州地域と並び、日本屈指の輸出向け綿布の巨大産地へと成長したのです。
木綿の買い付けや販売を行う「買継問屋(かいつぎどんや)」が集まり、知多木綿のブランド化と流通を一手に担いました。今も残る古い街並みはその当時の問屋街の繁栄の名残です。
最盛期には岡田町単体での工業生産額が「山形県全体の生産額に匹敵した」と言われるほどの驚異的なハイテク都市へと変貌し、大量生産された広幅の木綿が、中国や東南アジアをはじめとする海外市場へ向けて大量に輸出されていきました。
のどかな町が実は世界とつながる最先端の輸出拠点だったと知ると、また違った風景に見えてきますね。
女工たちの心の支えだった郵便局
最盛期には全国から3,000人ほどの若い女工たちが繊維工場に集まり、町は大変に活気があったそうです。
彼女たちが窓口から故郷へ手紙を送ったり、給料を仕送りしたりしたことで、郵便局は毎日大変な賑わいを見せていたそうです。
きっと郵便局から届く家族からの手紙も心待ちにしていたことでしょう。
知多岡田の郵便局は、電話さえ十分にない時代に親元を離れて働く彼女たちの心の支えだったのでしょうね。
愛知県内最古の現役郵便局舎の復活物語
1966年に通常の郵便局(知多郵便局)が別の場所へ新築移転し、この建物での郵便業務は閉鎖され1992年に取り壊しの話が浮上しました。
建物の消失を惜しんだ地元住民から保存と営業再開を望む声が上がり、翌1993年7月に「簡易郵便局」として奇跡的に復活を果たしたのです。
この市民運動が翌年の「岡田街並保存会」結成の原点となり、現在も活動されています。
「知多岡田簡易郵便局」は明治建築のまま稼働する日本でも貴重な郵便局として2013年に知多市で初めて国の登録有形文化財(建造物)に登録されました。
知多岡田簡易郵便局の建築美

木造2階建て、四方に傾斜する「寄棟造(よせむねづくり)」の桟瓦葺(さんがわぶき)の洋風建築です。

外壁は淡い水色の下見板張りで、階境の胴蛇腹(どうじゃばら)や軒蛇腹が施され、上げ下げ窓の外側には雨戸が備えられています。

屋根の鬼瓦には、当時からそのまま残る「〒」のマークが刻まれています。
1階の半分が現在の簡易郵便局窓口、もう半分が観光案内所(岡田街並保存会事務局)として使われています。2階は、かつて職員が泊まり込んでいた宿直室の遺構です。
今回伺ったのは週末だったので建物の中の様子は見られず残念でした。
知多岡田、こちらもおすすめ!
知多岡田の古い街並を散策にきたなら、ぜひ「手織りの里 木綿蔵・ちた」や「雅休邸(旧岡田医院)」も合わせて見学してみてくださいね!

さいごに
この記事では100年を超えて今も岡田の地を支える『知多岡田簡易郵便局』をご紹介しました。
明治西洋建築の姿のままの現役郵便局舎、女工さんたちのエピソードを知るとさらに味わい深く見えてきますね。
*2024年11月訪問撮影
※ 記事の情報は公開日月時点のものです。
最新状況については公式サイト、お電話にてご確認くださいませ。


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