前回記事では大垣駅前の「表の顔」である駅前商店街をご紹介しましたが、今回は大垣城のおひざ元である「郭町(くるわまち)エリア」の激渋スポットをご紹介します。
広々とした大垣駅前商店街のアーケードを南へ歩き、城下町跡のクランク(郭町交差点)の手前でふっと横道に逸れると、そこには明るい表通りとはまったくの別世界が広がっています。
表通りが「未来を見据えたモダンなコンクリート都市」なら、こちらの裏通りは「戦後の人々の生活を支えた闇市の残り香」。まるでタイムスリップしたかのように時が止まった、大垣のディープな路地裏エリアをレポートします。
「表の顔」駅前商店街のレポはこちら↓↓

一歩入れば別世界。薄暗い通路に潜む「戦後マーケット」の面影

まず目に飛び込んでくるこちらの激渋物件。屋根部分をよく見ると、コンクリートビルの1階から突き出すように木造とトタンの家屋が一体化しています。
おそらく、もともとあったマーケットの敷地に、後から上のビルが増築されたのでしょう。戦後のドサクサ期から高度経済成長期にかけて、この場所がどれだけ賑い場所取り合戦を繰り広げていたかを物語る、愛おしい「魔改造建築」です。

さらに建物横には、すれ違うのもやっとなくらい小さな路地が。 増築や補修を重ねた結果、もはやどのような構造になっているのか外からはまったく分かりません(笑)。

通路の頭上には「菊川 お城」の文字。そう、ここはまさにお隣にある大垣城のお膝元なんですよね。「お城街」というストレートなネーミングにも、戦後復興期の勢いを感じます。

波板のトタン屋根の下、両側にぎっしりとひしめき合う小さな店舗跡。かつては夕方になると、仕事帰りの労働者たちで毎夜毎夜、足の踏み場もないほど賑わっていたのでしょう。

さらに探索を進めると、シャッターが固く閉まった古いビルの真ん中に、ぽっかりと奥へ続く通路を発見しました。

天井にはむき出しの電気配線が複雑に絡み合い、昼間なのにしんと静まり返った初夏でも冷気を感じさせるような薄暗いビル内。
かつてはここにも、様々なお店がひしめいていたようです。

壁には「カーテンの山装」の看板、そして「ひちや(質屋)」の文字。ひちやさんは今もこのビルの奥で静かに営業を続けているようです。
戦後の闇市を発祥として、零細店舗を一つのRCビルにまとめて再開発した東京の「有楽町ビル」や「ニュー新橋ビル」のようなストーリーを、ここ大垣の郭町でも小規模ながら行われていたのかもしれませんね。

通路の角で見つけた「電話で融資 電はそのまま 大垣金融」というインパクト抜群の看板。

イラストに描かれているのは懐かしの「黒電話」!これぞ昭和の遺物ですね。
まだ携帯電話はおろか、一般家庭に固定電話を引くのすら高額な「電話加入権(権利は販売可能だった)」が必要だった時代の生々しい歴史の残り香です。
40年前の我が家の家電話8万払った記憶だけど、あのお金はどこへいってしまったんでしょうね。

古い近代建築をリノベーションした、隠れ家風の高級イタリアンのお店のようです。
石積みの重厚な柱、味わい深い赤煉瓦の壁、そして銅板の庇。よく見るとアーチ窓が少し傾斜したデザインはかなりのこだわった建築美です。
シャッターを閉じた、静かな裏通り商店街

さらに進むと道幅の狭い平屋のコンクリート長屋が並び、ここもかつて両側に小さなお店がひしめく裏通り商店街です。
「表の顔」である駅前大通りの広大なアーケードと対比すると、生活感が漂うその姿が本当に面白いですね。

コンクリート造り平屋の店舗群。かなり年季が入っていますが、どこかスクエアで無駄のないデザインをしています。

白い外壁に、規則的に並んだ窓やシンプルな庇。当時はモダンなデザインだったのでは?

一番手前は駐車場にくっつくように奥は別ビルになっているようです。
店舗上の広いスペースはテントだったのかな?大きな看板を掲げていたのでしょうか?

静かな通りの中で、かすかに人の温もりが残る建物を見つけました。
「大垣手芸教室」と書かれた扉の横には、作品を並べていたであろう小さなショーケースが作り付けられています。

窓ガラスには「三月末で閉室致しました」という一枚の白い手書きの貼り紙。いつの「三月」だったのでしょうか。 そしてどれだけ長い間、教室を開いてらっしゃったのでしょう。
白いレースのカーテンの向こうで、それぞれが手を動かしながら先生と生徒さんたちが笑顔でおしゃべりしていた温かい光景が浮かんでくるようです。

手芸教室の反対側は、無機質なグレーのシャッター通り。こちらは先ほどの薄暗いビル内マーケットに並んでいた店舗群の「表の顔」になるようです。
その中で、「ひちや」さんだけが変わらずにひっそりと営業を続け、街の移り変わりを見守っています。
戦後の混沌としたエネルギーの中で闇市として始まり、大垣の人々の衣食住とリアルな生活を支え抜いてきた裏通り商店街。シャッターの奥からは、今もかつての生活の息吹と熱気が静かに伝わってくるようです。
かつて夜の街のシンボルだった「赤壁の料亭」の記憶
この激渋なマーケットがある郭町一帯は、かつては「東外側(ひがしそとがわ)」と呼ばれ、夜になると美しい芸者さんたちが行き交う艶やかな「花街(色街)」としての輝かしい歴史を持っていました。
大垣の遊郭と言えば、大正時代に認可された藤江町の「旭遊郭」跡がよく知られていますが、大垣城のお膝元であるこの郭町も、大正から昭和初期にかけて高級料亭が立ち並ぶ華やかな夜の街でした。
しかし現在では、当時の面影を残す建物はほとんど残されていません。
ほんの数年前まで、この場所からすぐ近くの高砂町に、鮮やかな赤い土壁(ベンガラ壁)で囲まれた壮麗な木造2階建ての料亭「割烹旅館 菊水」(旧花街の赤壁の料亭)が残されていました。
大垣の夜の社交場を象徴する、建築遺産としても全国のファンに非常に有名な建物だったのですが、老朽化には抗えず、残念ながら2018年頃に解体されてしまいました。
政治家や繊維産業で大成功を収めた旦那衆が通った高級料亭と、そのすぐ裏で庶民のたくましさがギュッと凝縮されていた闇市風の路地裏。
まさに「華と実」が隣り合わせで密接に息づいていた地は、今もどこか寂しげでいて独特な色気と深い歴史が漂い続けているのかもしれません。
駅前商店街の空中都市計画とレトロ物件↓↓

すぐ近く、大垣城門前に佇む昭和の激渋エグロ会館↓↓

おわりに
大正から昭和にかけて繊維産業で大垣の街に膨大な富と活気が満ち溢れ、夜な夜な多くの大人たちで溢れかえっていた黄金時代。 仕事帰りの人々が狭い「お城街」の通路へ吸い込まれていき、お酒の匂いと楽しそうな笑い声がトタン屋根に反響していた光景が目に浮かびます。
駅前の表大通りから一歩入った路地裏に広がる生々しい歴史のグラデーション。やはり「裏路地がおもしろい」がレトロ街歩きの鉄則ですね。
再開発によって、過去の貴重な記憶が綺麗で均一なコンクリートへと塗り替えられてしまう今の時代。こうした戦後のリアルな人々の生活の営みを肌で感じられる場所は、全国的にも本当に貴重です。
大垣を訪れた際は、ぜひ駅前商店街から細い路地へ一歩入り、この深くて愛おしい昭和の迷宮を体感してみてくださいね。
*2025年5月、6月、2026年6月訪問撮影
【English Summary】
In this article, I explore the deep, hidden side of Ogaki: the historical “Oshiro-gai” alley in the Kuruwamachi area. Stepping off the spacious main street feels like entering a post-war time capsule. I share my walk through this nostalgic maze, featuring unique hybrid buildings of concrete and tin roofs, a vintage billboard for “black telephone” financing, and traces of Ogaki’s old geisha district, including the legendary red-walled restaurant “Kikusui.” Discover the fascinating and raw post-war history that still breathes in Ogaki’s backstreets!
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