インド石窟風の異空間!揚輝荘 聴松閣の地下「旧舞踏場」職人技の全貌

千種・昭和・瑞穂・天白・名東・緑区エリア

名古屋・覚王山の静かな住宅街に佇む「揚輝荘・聴松閣」。
山荘風の赤い外観からは想像もつかない、驚きの空間が地下に眠っているのをご存じでしょうか。

今回は、揚輝荘の真骨頂とも言える「旧舞踏場」をクローズアップ。
松坂屋初代社長・伊藤次郎左衛門祐民が、インドの石窟寺院を彷彿とさせる意匠にこだわった、神秘的で多国籍な空間の魅力をご紹介します。

「揚輝荘(ようきそう)」とは?

揚輝荘(ようきそう)は、松坂屋の初代社長「伊藤次郎左衛門祐民」によって大正から昭和初期にかけて築かれた、名古屋を代表する歴史的建造物群です。

かつては1万坪もの広大な敷地に、30数棟の建造物と池泉回遊式庭園が広がる別荘として君臨していました。現在は北園と南園に分かれて保存されています。

「聴松閣(ちょうしょうかく)」は南園にある地上3階・地下1階の迎賓館。今回は揚輝荘の顔とも言えるダンスパーティや晩餐会が催されていた「旧舞踏場」をご紹介します。

地階ホール

地階のホール、こちらは旧舞踏場の入口から撮影したものです。

地階ホール左右の壁画は、インドのアジャンター石窟の写しといわれ、釈迦の生涯を描いたもの。インドからの留学生の手により、1938年(昭和13年)に製作されたサインが残されています。

柱にはゾウやハスの彫刻が並び、祐民氏がインド文化に深く傾倒していたことを象徴する空間です。

旧舞踏場

現在「多目的室」として使われている旧舞踏場は、舞台を備えた広々としたホールです。

南側の奥まった窓際にはソファーが置かれています。

窓ガラスにはヒマラヤ連峰の雪嶺がガラス彫刻で表現されており、一番高い峰は世界第3位の高峰「カンチェンジュンガ」を描いています。

舞台

旧舞踏場の半円形の舞台、半円形の舞台にある低い切戸口は、能や狂言の面影を感じさせます。

舞台上のレリーフ、見事な左官職人の技です。

イベント日に伺ったので特別に舞台幕を下ろして見せていただくことができました。

舞台幕は、天保14年創業の老舗「川島織物」による繊細な作品。

暖炉

暖炉の上には、アンコール・トムの踊り子(アプサラ)を思わせるレリーフが。祐民氏が旅したタイやカンボジアの影響が色濃く反映されています。

暖炉左手奥の小スペース

暖炉の左奥手にある謎の小スペース、丸窓からは朝日が差し込みます。

イスラム型アーチのタイル中央にはインド砂岩と思われる女神像が備えられています。

1階と同様、床には「名栗(なぐり)技法」が使われており、地下ではより力強い削り跡が見られ、洞窟のようなワイルドな雰囲気を演出しています。

柱の模様

石張りの柱の下部には、インドのアーグラ城でも見られる「像嵌(ぞうがん)」の模様が施されています。
柱に刻まれた緻密なレリーフも見事で、祐民氏のこだわりが細部にまで宿っています。

柱のレリーフも見事ですよ。

※車寄せの美しいべんがら塗りの玄関や、1階・2階のイギリス山荘風客間、旧食堂などの美しい建築全体の完全攻略ガイドは、こちらの【メイン本丸記事】で詳しくご紹介しています!

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さいごに

地下に広がる異国情緒あふれる空間が広がる地下の旧舞踏場、細部にまで細やかな職人の技に圧倒されます。

記事の情報は公開日月時点のものです。
最新状況については公式サイト、お電話にてご確認くださいませ。

揚輝荘 聴松閣
住所:愛知県名古屋市千種区法王町2丁目5−17
アクセス:地下鉄東山線「覚王山駅」2番出口から徒歩10分(※南園・聴松閣への入園料は450円、月曜定休)

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