『豊橋ハリストス正教会』大正ロマン香る120年超えの美しい聖堂 あいたて博

豊橋

あいたて博2024で「豊橋ハリストス正教会」と「豊橋市公会堂」を見学してきました。

教会は2024年9月に修復を終えたばかりで大正レトロを残しながらも建物はきれいでした。

美しい聖障を間近で見られて(東京復活大聖堂(ニコライ堂)は遠くからしか見られなかった。)大満足でした!

建築物概要

名 称豊橋ハリストス正教会聖使徒福音者馬太聖堂
(とよはしはりすとすせいきょうかいせいしとふくいんしゃまとふぇいせいどう)
竣 工1913年(大正2年)
設 計河村伊蔵
見 学礼拝時であれば個人見学可能、あいたて博
その他重要文化財(2008年指定)

 豊橋ハリストス正教会聖使徒福音者馬太聖堂は、大正2年12月に竣工した。平面は、西から東へ、玄関、啓蒙所、聖所、至聖所を一直線に並べる、ハリストス正教会聖堂に共通する形式である。
 豊橋ハリストス正教会聖使徒福音者馬太聖堂は、ハリストス正教会聖堂の定型的な平面構成をもつとともに、我が国における木造ハリストス正教会聖堂の完成型の建築構成と細部意匠をもつことで、高い歴史的価値がある。
 また本聖堂が、我が国ハリストス正教会の司祭建築家河村伊蔵の設計と推測できる点においても重要である。

文化庁・文化遺産オンライン参照

アクセスは?

アクセスはJR・名鉄豊橋駅より路面電車「市役所前」下車徒歩3分ほど、豊橋市公会堂の近くです。
豊橋駅から歩いて20分ほどです。

現教会の竣工は1913年(昭和2年)ですが、豊橋で布教を始めたのは1879年(明治12年)で中八町に1階を集会所、2階を祈祷所とする木造会堂が建設され、1905年(明治38年)に日露戦争時には豊橋に収監された800人のロシア兵捕虜が日曜ごとに参堂、祈祷していたそうです。

1902年(明治35年)に現在地を購入、信徒数30戸余り、約150人の信徒が資金を募り労力奉仕をもってこの聖堂を建立、鐘楼にはサハリンから取り寄せた聖鐘を設置しました。

当初は亀甲葺きでしたが現在は銅板瓦棒葺きの屋根となっています。

ロシア・ピザンチン様式の木造聖堂は日本人による設計・施工管理、現地の大工職人らによる和洋折衷が融合しています。

第二次世界大戦で一面の焼け野原となった地に残った聖堂を目にした多くの人が教会を目指し、辿り着いて信者になった方もいたそうです。

すでに120年を超えて存在する教会は2021年~2024年にかけて全面的補修をされたそうで、あいたて博2024で見学させていただいた時には美しくなっていましたが歴史を感じました。

豊橋の前に建てられた大阪聖堂はほぼ同じデザインで豊橋よりも規模の大きかったそうですが、第二次世界大戦で焼失してしまったそうで120年を超えて姿を残す豊橋聖堂はまさに奇跡ですね。

重要文化財指定になっていることからもその重要性がかわります。

大正ロマンを感じるかわいいデザインの教会。

エントランス、奥が礼拝堂です。

礼拝堂からエントランスを見たところ、上部にステンドグラスの十字架。

正面には要所に金粉を配したロココ調の優美な聖障。

白い障壁にゴールド、映えますね。

ロシアから取り寄せたシャンデリア。

創建当時からのロシア製のガス灯、昔はガス灯で明かりを灯していたんですね。

歩いてすぐの豊橋市公会堂もすてきですよ↓

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さいごに

市役所の屋上から聖堂が見えると聞き上に上がってみました。

聖堂は紅葉の木々からチラリと顔をだしてました、昭和初期までは豊橋のランドマーク的な存在だったんでしょうね。

大正ロマンが残る教会、チャンスがぜひ見学してみてくださいね。

*2024年11月撮影

記事の情報は公開日月時点のものです。
最新状況については公式サイト、お電話にてご確認くださいませ。

施設情報

<施設情報>
豊橋ハリストス正教会
住所:愛知県豊橋市八町通三丁目15番地
アクセス:豊橋駅より路面電車「市役所前」下車徒歩3分

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