「帝国ホテル2代目本館 ライト館」が100周年を迎え、明治村、帝国ホテル、INAXライヴミュージアムでイベントが、さらに豊田市美術館でも「「帝国ホテル二代目本館100周年 フランク・ロイド・ライト 世界を結ぶ建築」企画展も開催中です。
それぞれに足を運びましたが当時のライト館の姿を再現した映像や、ライト館の象徴でもあるテトラコッタやすだれ煉瓦を再現して作る作業の映像(INAXライブミュージアムにて)が見られたりと見応えがあり、ますますライト館のファンになりました。
明治村で開催されたトークセッションにも参加させていただいたので、伺ったネタなどを合わせてライト館の様子をレポしますね。
帝国ホテル2代目本館ライト館
「帝国ホテル2代目本館ライト館」は20世紀建築界の巨匠と呼ばれるアメリカの建築家「フランク・ロイド・ライト」の設計により、4年間の大工事を経てオープンしたのが大正12年(1923年)、なんと関東大震災の日でした。
関東大震災は震災より火災での被害が大きく、この時代には珍しくオール電化だったライト館は、支配人の「とにかく電気を落とせ!」の的確な指示で大きな被害を免れたそう。
電気を”消せ!”ではなく”落とせ!”のセリフが時代を感じさせますね。
建物の高い耐震性が証明され、フランク・ロイド・ライトは建築家としての名声をさらに確実なものにしました。
正面入り口、当時を再現した映像によると手前に回転扉があったようです。
移築の際に多くの部分は忠実に復元されたそうですがこの扉はかなり古いようなので当時のものかもしれません。
ライト館のポイントの一つ、モザイクのステンドグラス。
正面側に並んだ細長い窓。
1階吹き抜け、12月でクリスマス仕様に飾り付けがされていました。
2階は現在喫茶室として営業しており、お茶と軽食を楽しめます。
3階部分は未公開、当時は図書館があったみたいです。
「光の籠柱」と呼ばれる、大谷石とテラコッタを積み上げた柱。
テトラコッタ
ライト館に使われているテトラコッタ、行燈をイメージしているそうです。
ライトはテトラコッタの色を「黄色」に指定、常滑の土が選ばれ当時の「伊那製陶所(現INAX)」が製作。
スダレ煉瓦250万丁、穴抜け煉瓦150万丁、テトラコッタの数々、総数400万丁を超える建材が使われました。
複雑で繊細なデザイン。
中は空洞になっておりまさに”行灯”ですね。
こちらはINAXで再現された建材。
当時と同じものを製作している様子を映像でみましたが一つづ丁寧に型にはめて取り出し、削って形を整え、乾燥して焼き上げるとういう気の遠くなるような作業をされていました。
大谷石とれんが煉瓦を組み合わせた柱。
大谷石もすだれ煉瓦もライトが初めて使用、すだれ煉瓦はスクラッチタイルとしてその後に大流行しました。
大谷石もそれまで脆くて建築素材として使用されることはなかったそうですが、その後よく使われるようになったとか。
ゴツゴツとした石は壁の一部としても使用されていて、まさにテーマパークみたいですね。
天井と窓
高い天井、窓から差し込む光がきれい。
窓も当時のもののようですね、かなり歪みがあります。
テラスに続く扉。
開き窓になっているのが時代を感じさせますね。
ライトは家具やステンドグラスの窓、食器までを自らデザイン。 ただしライトがデザインしたチェアは座面が木の枝を編んだ上にクッションを敷いたもので、服にひっかかったり座り心地がよくなかったりと2代目から少しづつ実用的に改良されていったようです。
展示されている椅子はライトのデザインをベースに作られたものです。
階段上の細工は移転後に違和感のないように新しくデザインして修復されたようです。
ひさし
天井にはめられた「ひさし」、雨除けなどではなく光を調整するライトならではのこだわりのようです。
天井にも嵌められていました。 このひさしで光をやわらかくするのかな?
屋根の下にもひさしが並んでいますね。
ステンドグラスのデザイン。
貴重な当時の帝国ホテルの写真、裏には近代的なビルが並んでいますね。
デザイン重視で居心地は?
「東洋の宝石」と呼ばれ、日本を訪れる外国人からも愛されたライト館は44年で建て替えとなり、「建替え反対」のデモまであったんだとか。
100年を超えて現在も愛されるライト館ですが、ホテルとしては居心地のよいものではなかったようで、段差が多くワゴンが使えないのでサービス係の方もかなり苦労をしたそうです。
当時は海外からは来日するため1か月以上長期滞在するお客が多く、階段が多い館内での生活は不便だったでしょうね。
閉館前は地盤沈下が激しく、半地下のスタッフ待機場所は雨漏りもひどかったそう。
2階のライト館喫茶室はこちら↓
ライト館年表
ライト館が完成までの流れ、こちらはライト館100周年イベントで聞いた話を簡単にメモしたものなので間違いがあるかもしれません、参考までに。
(間違いを指摘いただけると助かります。juneco45@gmail.com まで)
1916年 | 契約締結(建築費用130万、完成まで2年予定) |
1919年 | 新築工事起工 |
1923年 | 竣工、建築費用900万 |
1945年 | 南館と宴会場が焼失。 |
1967年 | ライト館閉鎖 |
1968年 | 明治村へ移設 |
1970年 | 地鎮祭 |
1985年 | 工事完了(移築費用11億) |
ライト館の移転は佐藤栄作が訪米先で、記者に「フランクロイドライトが設計した帝国ホテルが解体されると聞いたが本当か?」と質問された際に「帝国ホテルは明治村で保存します。」ととっさに答えたのがそもそもの始まりなんだとか。
寝耳に水の明治村、それまでの実績からライト館の移築には莫大なお金がかかるおとわかっているだけに解体が迫る中でも即答はできず。
それでも当時の明治村館長「谷口喜朗氏」もライト館は貴重な資料だと認識しており、「国もお金を出すから。」と説得されて移築を決定。
建物の移築工事には11億かかったそうですが国からの補助はたったの”1,000万”だったそうですよ。
今では明治村の顔となった「帝国ホテル ライト館」ですが11億の元は取れたのかしら?
移築して保存してくださった名鉄さん、感謝です。
日本に現存するフランクロイドライト
今、アメリカでライト人気が再熱しているそうです。
ライトは約1,000設計し、全世界で450が実際に造られ、300ほどが現存、残っているのはアメリカと日本だけなんですって。
「帝国ホテルライト館」「ヨドコウ迎賓館(旧山邑家住宅)」、そしてライトもデザインにかかわったという「自由学園」。
チャンスがあれば行きたいですね。
さいごに
帝国ホテル2代目本館 「ライト館100周年」、明治村だけでなく帝国ホテルやINAXでイベントが開催され、豊田市美術館でも「フランク・ロイド・ライト 世界を結ぶ建築」を開催中。
フランクロイドライトは本当に日本でも愛されているんですね。
*2023年11月撮影。
※ 記事の情報は公開日月時点のものです。
最新状況については公式サイト、お電話にてご確認くださいませ。
竣工 | 大正12年(1923年)9月 |
設計 | フランク・ロイド・ライト |
見学 | 可能(明治村) |
その他 | 帝国ホテル2代目本館の中央階段のみ1968年に明治村へ移設 重要文化財 |
店舗情報&MAP
<店舗情報>
帝国ホテル 中央玄関
住所:愛知県犬山市内山1 博物館明治村(google mapで見る)
アクセス:明治村内
電話:0568-67-1159
営業時間:明治村営業時間に準じる
定休日:明治村休園日 及び 12月1日~2月末の平日(正月は除く)
喫煙・禁煙:全席禁煙
座席数:
駐車場:有(普通車 3~11月 800円 /12~2月 500円)
食べログで口コミを見る