熱田イオン近く、100年の時を超えて残る重厚な煉瓦の倉庫「中京倉庫」から辿った「名古屋陸軍造兵廠(ぞうへいしょう)熱田兵器製造所」の歴史。
神宮東公園まで足を延ばすと煉瓦の倉庫だけでなく、「平和への祈り」の碑も残っていました。
建築物概要
| 名 称 | 名古屋陸軍造兵廠(ぞうへいしょう)熱田兵器製造所 |
| 竣 工 | 1919年〜1921年(大正時代) |
| 設 計 | |
| 見 学 | 塀越しに外観のみ見学可 |
| その他 | 現在も倉庫として現役 |
中京倉庫

「中京倉庫」は熱田イオンから南へすぐ、以前から車窓から見える重厚な煉瓦造りの建造物が気になっていました。
自転車で熱田イオンに出かけた際に足を延ばし、じっくり見てみるとかなり歴史がありそうな建物で調べてみると大正時代に建てられた兵器工場とのこと。
名古屋陸軍造兵廠 熱田兵器製造所
「名古屋陸軍造兵廠(ぞうへいしょう)熱田兵器製造所」は1904年(明治37年)に日露戦争の勃発に伴い陸軍省により設置された。
「弾薬の保管」や「銃器の製造・貯蔵」に使用され、当時は熱田地区は日本屈指の兵器生産拠点であり、この建物はその中核をなす施設の一部だった。
明治末期から施設の拡張が進み、現存する「煉瓦造りの倉庫」は1919年(大正8年)〜1921年(大正10年)に建てられた。
弾薬などを保管する性質上、非常に頑丈に作られており、1945年の名古屋大空襲でも焼け残り、戦後は「中京倉庫」として活用されている。
100年を超えても美しい

イギリス積みの煉瓦造り、窓のアーチ型の装飾など、産業遺産としての価値も高く評価されているそう。


手作りならではの煉瓦の美しいグラデーション、重厚感。手前の新しい煉瓦と比べるとよくわかりますね(笑)。

網の柵からチラッと撮ってみました。

名古屋大空襲にも生き残った煉瓦の倉庫。 日清・日露戦争、第一次世界大戦、日中戦争、太平洋戦争を静かに見守り続けてきたのでしょう。
屋根には平和の象徴「鳩」が戯れていました。

出入口も煉瓦造り。

立派な煉瓦の門、まさに大正時代からの「歴史的遺産」ですね。
神宮東公園

後日にふらりと神宮東公園辺りを散策していたら、見覚えのある煉瓦壁。

なるほど「名古屋陸軍造兵廠」は煉瓦造りの倉庫から神宮東後年までがかつての敷地であり、煉瓦壁が残っているのですね。

公園を散策してみるとなにやら少女像が。

こちらは作品名「待つ日」、「津田裕子(つだ ゆうこ)」さんの作品で設置時期は1989年(平成元年)だそうです。
具体的な設置背景は記されていませんが、かつて軍事施設だったこの場所で、穏やかに誰かを待つ女性の姿は平和な日常の象徴のようにも感じられます。
名古屋陸軍造兵廠 記念碑

北へ進むと「名古屋陸軍造兵廠 記念碑」を見つけました。碑のマークは名古屋城の鯱を象ったものだそうです。

唯一ここの地が「名古屋陸軍造兵廠跡」だったことを記す碑。
「名古屋陸軍造兵廠 記念碑建立委員会」が昭和五十四年に建立、終戦から34年でここで奉職していた方々が殉職した方たちのためにも歴史に残そうとされたのでしょうか。

碑文
名古屋陸軍造兵廠は明治三十七年陸軍省がこの地に中京砲兵工廠分廠として創設以来昭和二十年八月の終戦まで国家の要請に応えて来た。
第二次大戦末期には本部の外、熱田・高倉・千種・鳥居松・鷹来・楠柳津等の製造所を有し三万五千人が奉職して居た。
私達は多くの殉職者のご冥福と世界の平和を祈ります。碑は名古屋陸軍造兵廠のマークで名古屋城の金の鯱を象ったものである。
昭和五十四年十一月三日名古屋陸軍造兵廠 記念碑建立委員会
さいごに
この碑を見つけたのは2年ほど前、昨今のきな臭い世界情勢でこちらの碑文を思い出し書いてみました。
記念碑を建立するために奔走した方々はもう生存されていないかもしれません、今生きている私たちが引き継いで平和を祈っていかねばならないと強く決意を新たにしました。
※ 記事の情報は公開日月時点のものです。
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施設情報
<施設情報>
中京倉庫
住所:愛知県名古屋市熱田区六野2丁目1−3
アクセス:金山総合駅から徒歩18分ほど


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